「ゼロス〜〜〜〜〜〜っっ」
宿中に響き渡る叫び声に呼ばれて、ふっと部屋の中に黒い影が現れた。
「おやおや。お2人とも随分と可愛らしい姿になりましたね♪」
ニコニコといつもの笑みを浮かべてあたしたちを中空から見下ろすゼロスは、実に満足げだった。
「ゼロスっ!何なのよ、これはっ!」
「いやぁ…手っ取り早くお金を稼ごうと思いましてね。人間たちが欲しがりそうな薬を調合してみたので、お2人に飲んでもらったんですよ。どうやら成功したみたいですね」
「あたしたちで人体実験すなっっ!!つか、戻しなさいよっ!」
「放っておいても薬の効き目が切れれば自然に元に戻りますよ。そうですね……半月から1ヶ月くらいですか」
「長っ!?」
半月から1ヶ月もこんなマヌケな格好でいなきゃいけないとか、冗談じゃない!
「1ヶ月は長いぞ。これで楽しむなら1日とか、長くてもせいぜい3日くらいにしないと」
「そんなものですか?」
「そんなもんだ。この手のものは効果が長けりゃいいってもんじゃないし」
「ちょっ!?ガウリイっっ!?」
呆れながらもゼロスに適切なアドバイスするガウリイって一体……
つーか………これを売ろうとしていたのか?この変態魔族は……
「いやぁ。最初は『惚れ薬』とか『若返り薬』とかにしようかとも思ってたんですけど、それは人が望むものとしてはありきたりだったんで、何か面白い効果かある方がいいかなぁ、と。『一部獣人化』は昔から萌えの一角として需要がありましたから、今回はこれでいってみようかと」
「萌えとか………お前が言うなよ………」
生きとし生けるものの天敵で全ての破滅を望み、人の負の感情を糧にする生き物が魔族……だったはず。うん、間違ってはいないはず。こいつを除いては。
「確かに、萌えとしての願望はあるよなぁ。しかし、一部分だけ生えさすなんてよくこんな都合のいい薬なんて作れたな、ゼロス」
「はっはっはっ。僕は獣神官ですよ?人間も獣の一部なんですから、その性質に干渉するなんて簡単です。これは、個人の潜在的な獣性に働きかける薬なんですよ」
「潜在的な獣性?」
「つまり。その人に1番近い動物のもっとも特徴のある場所を具現化させるわけですね」
「てことは……オレは犬なのか?」
「犬に見えますが、実際はイヌ科の大型な猛獣でしょうね。ガウリイさんは」
「ふーん…んで。リナが………………見た目は猫に見えるけど、絶対にヒョウとかだよな」
「何と言ってもリナさんですからねぇ。あなた以上に獰猛なはずですし」
「でも、見た目はやたらと可愛いよなぁ♪」
何やらうんうんと頷き合う男たちに、ふるふると怒りが沸いてきた。
本来ならゼロスには必要のないはずの路銀を稼ぐ為に、こんな分けのわからない薬の実験台にされた挙げ句、人の事を猛獣だの何だのと言いたい放題してくれちゃって!
「あんたらね〜〜〜〜っっ!」
怒りが全身を走り抜けて、ざわりっと全身の毛が逆立った感覚に襲われる。
ジャキンッと一瞬にして両手の爪が長く鋭く伸びた。
「人で遊ぶなっっ!」
床を蹴って跳び上がる身体がいつもより数段軽い。勢いよく跳んでゼロスに肉薄し、怒りの感情のまま手は動いた。
ーーーーバリバリバリバリッ
「ぎゃあぁぁっっ!?イタッ……イタタタタタッッッ……!?」
「うわっ!?リナ、ちょっと落ち着けっ!?」
「これがっ!落ち着いていられるかっ!くらえ必殺『顔面爪研ぎ』!!」
ーーーーバリバリバリバリッ
再びゼロスの顔面を滅茶苦茶に引っ掻く。猫の爪の鋭さは充分な凶器だ。
「痛いですってばっっ!…………ああ僕の顔がぁ………」
急に手応えがなくなったと思ったら、フッと目の前からゼロスが消える。次の瞬間には天井近くに現れて、ぷかぷかと浮きながらどこからか出した手鏡を覗き込んでいた。
「逃げるなっ!ゼロスっ!」
「待て待てっ、リナっ」
再び飛びかかろうとしたのに、後ろからガウリイががしっと押さえ込んで跳び上がれない。
「フーッッ」
「落ち着けって。ほんとに猫だな、お前さん。尻尾も髪も逆立ててるぞ」
落ち着けと言いながらもガウリイの声は笑っている。どうどうと宥められるあたり、完全に動物扱いだ。
「いきなり酷いじゃないですか、リナさん」
「人で人体実験なんてするからでしょっ!?いいから戻しなさいよっ」
「ですから、長くても一ヶ月程で元に戻りますって」
「い・ま・す・ぐ・に・よっ!」
「それは無理ですってば。解毒薬なんてそんな面倒なもの用意してません。諦めてしばらくその姿で過ごして下さい。そのうちくせになるかもしれませんよ?」
「なるかっ!」
顔を引っ掻き傷で線だらけになりながら、ゼロスがニヤニヤと楽しげに笑う。
「では、僕はこの辺で失礼しますよ。早速、薬の改良をして稼がないと」
「んなっ!?〜〜〜〜〜ゼロス〜〜っっ!」
ろくでもない事をほざきながら、ゼロスが今度こそ本当に姿を消した。
後に残されたのは、獣耳に尻尾を生やした間抜けすぎるあたしたち。
「……ゼロスの奴、本気でこの薬売るつもりなのか…?」
「………………次に会ったら、滅ぼす……!」
世の為人の為、あたしの為!
今度こそ絶対に滅ぼしてやる、あのすっとこ変態獣神官!
「まあ、それはいいとして…」
拳を握りしめ決意も新たにしたあたしの後ろから、ガウリイの困った声がした。そう言えば抱きしめられ…いや、羽交い締めされたままだったっけ。
するりと抜け出そうとしたあたしを、ガウリイの腕がガシリと再び拘束する。
「ちょっと、ガウリイ。落ち着いたからもう離してよ」
「いや……今度はオレが落ち着かなくてだな」
「?」
ガウリイはあたしと違って、最初こそ驚いていたけどあっさりと順応しちゃってたみたいなのに、何で今更?
「ガウリイ?」
肩越しに振り返ると、心底困った顔のガウリイが大きな溜め息をついた。しゅんっと頭についている犬耳が項垂れている。
なのに、『困った』と言いながら腕の拘束は更にきつくなって、あたしを覗き込む瞳は何故か熱く潤んで見えた。
「?っ……」
ーーーー何だか、見てはいけないものを見てしまった気がする。
これじゃまるで、主人のご機嫌を伺いながらおねだりしている犬にしか見えないじゃない!
しかも、凄まじい破壊力。あたしに獣フェチの属性はないはずなのに!
「なぁ、リナ……」
「っっ!?ちょっ…っ」
ぺろんっと突然頬を舐められて思わず硬直する。すぐに真っ赤に染まっていくあたしを、もう一度ガウリイが舐めた。
「ゼロスのせいで、ここんとこずっと『お預け』だったから……ちょっともう限界かも、オレ」
「っっ!?〜〜〜〜今日はダメっっ!絶対にダメっ!」
「何でだよ?」
確かに、ここしばらくの間は急にゼロスが現れて一緒に行動していたから、ずっと一緒に寝てなかったけど。
実は、今朝からゼロスの姿が見えなくなったからもう帰ったと思って、色々な意味で秘かに喜んでいたのはガウリイだけじゃなかったけれど。
だから、この宿にゼロスがいた時は必要以上に疲れたわけだけれど。
「まだゼロスがいるかもしれないでしょーがっ!?あれの事だから、絶対!どこかでこんな姿になったあたしたちの事を面白がって様子見してるに決まってるでしょ!」
確実にゼロスがあたしたちで遊んでるのがわかっていて、一緒に寝られるわけがない。
何の為に、今までも我慢してきたかわからないじゃないか!
「え〜〜〜………もう隠さなくてもいいんじゃないか?どうせもうバレてるだろうし」
「バレてたとしても!デバガメされて喜ぶ趣味はあたしにはないっ!」
「そりゃあ、可愛いリナの姿をオレ以外の奴に見せて喜ぶ趣味はオレにもないけどさ」
「だったら、離れてよっ!」
「…………どうしても、ダメか?」
ーーーーだーかーらーっっ!その顔は反則だってばっっ!
今でだって何度も、キューンと見えない耳が垂れている幻想が見えて思わず流されちゃったりしたけど、今回は更に本物の耳だし。思わずもしゃもしゃとその頭を思いっきりかき混ぜてぎゅうっと力一杯抱きしめたい衝動に駆られた。
〜〜〜〜いやいやいやっ!ここで流されちゃダメだってっ!色んな意味でっ!
必死に理性を保とうとしているあたしに、更に、長いふさふさのガウリイの尻尾が甘えるようにあたしの足元でゆっくり揺れながら触れてくる。
「……魔族が喜ぶ『負の感情』と全く逆の感情を見せつけてやれば、ゼロスもさすがにしばらくはよって来ないんじゃないか……?」
「んなっ…………ガウリイがまともな事言ってる…ような?………いやいやいやっ、ぜんっぜんまともじゃないから、それ!」
確かに『負の感情』とはある意味真逆だろうけれど、『生の喜び』と言うよりは『性の悦び』だろう、それは!
いくらなんでも、んな恥ずかしすぎる方法でゼロスを追っ払っいたくない!
魔族の常識から外れまくってるゼロスの事だから、平然と覗いてそうな気もするし。でもって、次に会った時に延々とからかわれるのがオチだ。進んで弱みを掴ませてどうする。
「とにかくっ!今日はダメ!つか、元に戻るまでしないから!」
「えーっっ!?そりゃないだろ」
ガウリイが情けない悲鳴をあげるが、聞かない、見ない。見たら負け。
「…………リナ」
「ひゃんっ」
「あんまり我が侭言ってると、問答無用で押し倒すぞ?」
耳…猫耳の方を軽く齧りながら低くなった声を吹き込まれる。
それだけで身体中の毛が、さっきの怒りとはまた違う意味でゾワリと逆立っていく感覚に襲われた。
どうやら、お願いモードから本気モードにスイッチが切り替わったらしい。どちらにしても目を合わせたらあたしの負けだ。
見なくても感じる。
文字通り、獣の欲を瞳に宿して欲情を押さえられなくなった男の、じりじりと囲い込まれるようなプレッシャーを。
「リナ」
「〜〜〜〜〜〜っっ」
それでもっ!どうしたって今夜は無理っ!心の準備も何も、そこまであっさりと開き直れるかっ!
「ガウリイ!おすわりっ!」
「ワンっ!……………って、おい………」
あたしの命令に反射的に従った大きな犬が、我に返ってムウッと拗ねたように唇を突き出すが、それより早くあたしはしっかりとガウリイの後ろに回り込んでいた。
「少し頭冷やして来いっ!このケダモノっっ!風魔咆裂弾!」
ーーーーどぶおおおおっっっ!
「どぉわあぁぁっっ!?リナあぁぁぁっっ…………なんでだよおぉぉっ」
「やかましいっ!あたしに獣姦しろってのかっ!?この変態っっ!」
宿の窓ごとガウリイを外に吹き飛ばして、ふうっと大きく息を吐き出す。
…………思わず乙女にあるまじき放送禁止用語も叫んでしまったような気がしなくもないが、今は取りあえず身の安全の為に部屋を封鎖しなければ。
「………ああもう………ただでさえ本能男なのに更に獣化させてどーしろってのよ………」
冗談じゃなく、きっと身が持たない。確実に喰われてしまう気がする。
何より問題なのは、そんなガウリイに敏感に反応してしまった自分だ。こんなマヌケな獣人化であっても、人より獣の部分がいつもより多いせいで本能に直結した野生の部分がざわめいていた。
今夜は無事に済んでも、きっと耐えられなくなる。ガウリイも……多分、あたしも。
窓の外は、夜の闇。
新月の今夜は、か細い星明かりが僅かに輝くばかり。
それでも目を凝らせば、いつもより視界がはっきりしているように感じる。夜に活動するものたちの気配もどこからか伝わってくるような。
ーーーーウオワーンッ……
遠くで、誰かが切なく吠えた………ーーーーー
◇◇◇◇◇
「おやおや、随分と嫌われてしまいましたねぇ。猫耳も尻尾も似合っているのに」
リナの読み通り、やはり闇の中からこっそりと覗き見していたゼロスが軽く肩を竦めた。
「ガウリイさんは、完全に僕に気付いてましたね。獣人化して更にカンが鋭くなったようですし、やっぱりあの人は侮れませんか」
見た目もリナに甘えている様も完璧に大型犬なのだが。
「本当に面白いですよ、あなたたちは」
実験台として遊ぶにも、本当に期待通りの反応を示してくれる。
「もう少しからかって遊びたいところですが、リナさんがいつになく殺る気満々ですし……さすがにお2人のアレな場面を覗き見るのは僕としても胸焼け起こしそうなので、時々覗く程度にしておきますか」
これからも時々からかって遊ぶには引き際も肝心なのだ。
引き際を誤って、折角の玩具を失うわけにはいかない。
覗き見る程度でも、獣化が解けるまでは充分楽しめるのは間違いない事だし。
「では、リナさんガウリイさん。半獣人生活をどうぞお楽しみ下さい♪」
クスリと笑って今度こそ精神世界へと身体を溶け込ませたーーーー |