ほんのちょっとの好奇心。
それから多大な探究心。
何でも深く知りたがるのは、魔道士としての本能のようなものだから。
だから、『それ』の中身を分析してみようか?と思ってしまったのは、きっと必然。
まぁ、一番の理由は暇で暇でどうしようもなかったからってものだったけれど。
ピンク色したハートの小瓶。
中を満たすのは甘く危険な魅惑の薬。
硬く閉ざされた蓋を開けたら、何が起きる………?
◇◇◇◇◇
こぽこぽとフラスコから微かな蒸気が立ちこめている。
数本の試験管の先に溜められている色のついた液体と、その周囲に注意深く仕分けられた薬草などの調合薬の粉末。
ふわりと部屋を満たしているのは、どこか甘ったるい不思議な香り。
荷物の奥から引っ張りだした魔法薬の調合書を片手に、注意深く反応を見ていく。
最も、今あたしがやっているのは魔法薬の精製ではなくてその逆だ。
この薬に一体どんなものが使われているのか、どんな術を組み合わせたのか。大体の予想を立ててそれを証明していく。
簡素な田舎の宿の一室がにわか実験室に様変わりしていた。
以外に思われるかもしれないが、あたしだって何も攻撃呪文ばかり研究しているわけじゃない。魔法薬の調合の技術だって多少は持っているのだ。最近はあまりやらないけれど、各地を旅して立ち寄った魔法道具屋などでめぼしいものを見つけたら必要に応じて入手しているし、必要あれば調合もしている。
魔法薬ってのは大抵べらぼうに高いもので、その原材料も魔法など知らない人から見れば一体何考えてるんだ?って値段がついている。原材料にしてもただの干涸びた木の根っことか、黒っぽい粉だったりその辺の石ころにしか見えないものだったり…そんなのが一財産程の値段で取引されているのだから。
だから、魔法薬の研究や調合を専門にしている魔道士たちは、大抵どこかの王族や貴族などをパトロンにしている。高価な材料費を捻出してもらう変わりに、それに見合う効果の薬を提供する。
まあ、あたしのこれは趣味の一環のようなものだから、持ち歩いている材料もそんなに種類があるわけじゃない。
ちゃんと研究しだしたらそれはそれで面白いかもしれないが、やっぱりあたし的には派手な攻撃呪文をぶちかませる方がいい。
そうでなくとも、ここ数年は魔法薬の精製や研究なんて悠長な事やってる余裕も暇もなかったし。せいぜい傷物の宝石を砕いて宝石の護符(ジュエルズ・アミュレット)に加工するとかくらい。結構前にゼロスから魔血玉の呪符(デモンブラッド・タリスマン)を『正当な交渉』の末に譲り受ける時に高価な魔法薬の原料のほとんどを手放しちゃった後はなかなか補充も出来なかったし。
でも、今夜は久しぶりのちょっとした実験にちょっとわくわくしている。
もちろん、これは単に思いつきの暇つぶし。だから器材も使う材料も今あるものだけで、この薬を完全に解明なんて出来ないしする気もない。
大体、これがどこまで本当に『アレ』な薬なのかもわからない。
これは一応押収品の魔法薬だったから、そこらで出回っているような怪しげなものよりは確かな効果があるれっきとした薬だと思いたいけれど、実際の所あたしも『本物』を見た事も使った事もないから真偽の程はよくわからない。
今までそう興味のない類いの薬だったし。
でも、暇すぎた夜に不意に手元にあるのを思い出してしまったから。
「ふーむ………やっぱりこれ自体に魔力を注入しているってわけじゃないんだ。そりゃそうか……」
『それ』を一滴垂らした先の試験管には全く反応なし。
魔力そのものの反応を確かめる為の薬に反応しないって事は、魔法罠(マジック・トラップ)みたいなものじゃない。そもそも、特定の魔法を液体に溶かして封じておくなんて無理だ。
攻撃性の魔法呪文を封じて必要に応じてぶつけて壊し、封じた魔法を発動させる『魔石』と呼ばれるものもあるが、『それ』とこれは用途が違い過ぎるし、何より魔法を直接『飲み込ませる』なんてのは、理論では出来ても実現は無理だろう。
「反応してるのは……果糖と…マンドラゴラと…んー……?」
何かの果物と多分何かの花、マンドラゴラは魔法薬には結構な頻度で使われるので予想済み。あとこの反応だと、よく言われているトカゲとかイモリとかの粉末が入っていそうだ。
「月夜の晩の丑三つ時に、バラとイモリと蜜蝋を焼いて潰して粉にして〜♪だったっけ?んじゃこれを入れてみて…」
これは魔法薬じゃなくて民間療養薬でも頻繁に使われている。いわゆる『滋養強壮』というものだ。
「でも、秘術を使った魔法薬だって事だし。何かを精製するのにその秘術を使って、出来たそれをまた混ぜてって感じよね。反応してはいるけどそう激しくはないし………メインはなんの成分なんだろう?」
ゼルガディスあたりならすぐに見当がつくのかもしれない。
合成獣(キメラ)にされた自分の身体を元通りにする為に世界中を旅している彼だから、成分を解析する作業は得意分野だ。元々研究好きな性質でもある。
最も、解析出来たからといってそれを全て別々のものとして元の状態に戻す事は、残念ながら人の扱える魔力程度では今のところどうにも出来ないのだけれど。
今もまだ、どこか旅の空の下で彷徨っているのだろう。
ニヒルでクールな一匹狼を気取りながらも、根は熱くお茶目でからかいがいのある仲間の姿を思い出して無意識に口の端に笑みが登った。
小瓶を手に取って蓋を開ける。
まだ半分程満たされている甘い香りを放つ液体は、ほんの僅かなとろみのあるものだった。
またいくつか別の薬を混ぜた試験管にこの薬を一滴ずつ落としていく。
反応したりしなかったり…試験管に溜まった色々な色に変化した液体は泡立ったり更に色を変えたりと実に賑やかだ。
「幻覚作用系に一番反応してるわね。ふぅん?これって飲んだ人がその気になるって言うより、飲ませた相手をその気にさせるように持っていくってのが正しい使い方なのかしら」
しげしげと指先でつまんだ小瓶を見つめた。
警戒心を起こしにくくして催眠術にかけやすくするようなものだ。
まぁ、今わかる範囲ではこの成分が一番反応を起こしているけれど、他のものと組み合わさってどんな状態を引き起こすのかはわからない。これ以上は突き詰めていくにも材料がたりないし。
それにしても。
「これ1つで一生楽に暮らしていけるなんてね。まあ、魔法薬には違いないから本当に効果があるならそれくらいしてもおかしくないけど……それでも飛びつく顧客があんなにいるなんてね。バカな事考える奴が後を絶たないわけだわ」
呆れの溜め息を1つ落としてみるが、考えてみればこれはある意味昔から人々が望んできた『不老不死』に並ぶ『秘薬』のようなものだ。
今も昔も、権力者たちがこぞって探し求め手に入れようとしていた『秘薬』。
あたしには、今イチ何でこんなものを大枚払ってでも手に入れたいのかがわからないけれど。
それでも、再び手の中の小瓶に目を落とす。
ちょっと考えてからきゅぽんっと小瓶の蓋を開けた。
途端にふわりと香る甘い匂い。
「……ま、一滴くらいなら問題ないでしょ」
毒薬や劇薬ではないのだから、一滴くらいならば舐めてみても身体に作用はしないはずだ。
これでも舌は肥えている方だし、毒の見分け方やなんかでねーちゃんに一通り薬物の訓練もそれこそ死ぬ思いで受けたのだから、何の成分が入っているのかは実際に舐めてみた方がわかるかもしれない。
僅かに上を向いて口を開け舌を突き出す。
少しだけ小瓶を傾けて、今にも落ちてきそうに膨らんだ雫を受け止めようとした瞬間。
ーーーーぶくぼぐごご…ちゅどーんっっ
「っっ〜〜〜〜〜〜っっ」
突然の爆発に驚いた拍子に、一滴だけのつもりだった薬を一口分飲み込んでしまった。
口の中いっぱいに広がる甘くて、けれどどこか苦いようなとろっとした感触。
林檎と柘榴の果汁を合わせたような甘さと、後から沸き上がるように香ってくる濃厚な薔薇の花のような匂い。
でも、今はそんな味の余韻に浸っているわけにはいかない。
「けほけほけほ………h〜……やっちった………」
熱していたフラスコが隣に並べていた試験管とその中の液体を巻き込んで爆発したらしい。
全部が交じり合ったせいなのか、部屋の中にはもうもうと煙が漂っている。さっきまでは微かに甘く香っているだけだったのが、思わず咽せる程濃厚な香りが満ちていた。
ーーーードンドンドンッ
「おい、リナっ何だ、今の音っ」
「げっガウリイっ、開けちゃ〜〜〜〜…………っっ」
「うわっな、何だぁ………うっ……げほっ」
制止するより早く、爆発音を聞きつけたガウリイが扉の鍵を壊して部屋に飛び込んできた。 そして盛大に煙を吸い込んで咽せる。
「…………足元危ないから動かないで。今窓開けるから」
煙と咽せたので涙目になりながら慌てて窓を開ける。すぐに新鮮な空気が流れ込んできて、同時に煙は甘すぎる香りと共に外に逃げ出していった。
けれどまだ部屋の中には甘さの名残がある。
「……一体何やってたんだ、お前さんは」
危険はないと判断したのか、ガウリイが心底呆れた目であたしと床に散らばるガラスの欠片を交互に見られた。
「えーと……あまりに暇だったんで、ちょっと実験などを少々……」
その視線から逃げるように目を泳がせて、部屋の隅からゴミ箱を持ってくる。
爆発して全て煙になってしまったせいか、床に飛び散っているのは破損した実験器具だけで液体はない。爆発音は派手だったが部屋への被害はほとんどないみたいだ。もし宿の人が慌てて駆け込んできてもこれなら問題ないだろう。内心でほっと溜め息をつきながらガラス片を拾い集めていく。
「いくら暇だったって、こんな街中の宿の中で危ない事するなよな………」
大きな溜め息をつきながら、しゃがみ込んだガウリイも一緒に片付けだす。太い指では細かいガラスの欠片をつまみ上げるのは難しそうだ。
「それにしても、一体何の実験をしていたんだ?妙に甘ったるい匂いがしていたが」
「h………いや、大した事じゃ……」
「爆発させといて大した事ないわけないだろうが。宿ごと吹っ飛ばなくてよかったな」
「……爆薬を作っていたわけじゃないわよ。たまたま爆発しちゃっただけ」
「…………たまたま爆発しちまうような危険物で実験とかするなよ……」
呆れの溜め息と共に頭の上にこつんと軽いげんこつが落とされる。その後にくしゃりと頭を撫でていく大きな手。
「何にしても、お前さんに怪我とかなくてよかった」
つられたように顔を上げると、すぐ近くであたしを見ているガウリイの目と視線が合った。
ーーーーードキン
「…………っ」
「ん?どうしたんだ、リナ?」
「なっ……何でもないっ!ガラスのこ、細かいのは拭き取っちゃうからもういいからっ!」
反射的にガウリイからぱっと距離を取り、慌ただしい手つきで荷物を漁る。ただ布を出したいだけなのに不思議そうにあたしを見ている視線を背中に感じて何故か焦ってしまう。
緊張して口が渇く。
どくどくと不自然な程に鼓動が急に速くなっている。頬が熱くなって何だか息まで苦しい。
(何?一体どうして……?)
どうして?……なんて。原因なんて心当たりがあり過ぎる。それでも、それが原因だとは認めたくない。
「ありがとガウリイっ!後は、あ、あたしがやるから。もう部屋に帰って寝てて!」
「?どうしたんだ、リナ?」
「いいからっ!」
ぐいぐいとガウリイの背中を押して部屋から出そうと試みるが、むしろそれは失敗だった。
触れた背中の温かさを感じた途端に指先から痺れにも似た感覚が走り抜けて、顔だけじゃなく身体全体が熱を帯びていく。
どこかむず痒いような、居心地の悪い熱さ。
ダメだ、と思う。
一刻も早くガウリイから離れないと、なんかとんでもない事になりそうな気がする。
「リナ?なんか顔が赤いが…大丈夫か?」
「大丈夫だからっ!お願い…早くっ、出てって!」
そう言いながら怪訝な顔で何気なく伸ばしてきたガウリイの手から何とか逃げる。多分額にでも手を当てて熱があるかどうか見てくれようとしただけだろう。それはわかるけど、今はこれ以上ガウリイに触れられるのは危険だった。
「……リナ?お前、一体……」
ガウリイの声が心配なものからどこか問いつめるものに変わった。こうなったガウリイに理由を告げずに部屋に戻らすのは無理だ。なら、今はあたしがここから逃げるしかない。
「〜〜〜〜ごめんっっ!ちょっと頭冷やしてくるっっ!」
「えっちょっ…待てっ、リナっ」
ガウリイの慌てた声を背中に聞きながら、あたしは開けたままの窓から外に飛び出して行った。 |