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ビルの隙間を通り抜ける不安定な強い風に、髪をなぶられる。
乱れた髪をかきあげながら空を見上げると、相変わらず濁った夜空に引っ掛かったように浮かぶ月。
スモッグの影響なのか、他に意味があるのか。今夜の月は赤かった。
ルビー・ムーン・・・・彼女と同じ名の色の月。
人間は誰しも月の影響を受けていると言う。だとしたらこの胸のざわめきは月の光のものなのだろうか。
(綺麗ごとでやりすごすルールは嫌いなの)
彼女の声が耳の奥でこだまする。
痛々しい程張り詰めた心に一体どんな事情を抱えているのだろう。
彼女の事を知りたい。
もっと、もっと・・・どんな些細なことでもいいから、一歩ずつ近づいていきたい。
けれど、彼女はそんな思いをさらりと交わしていく。
気紛れな子猫、そのままに。
可愛いだけじゃない、野生の凶暴さと残酷さを合わせ持つ彼女は、俺の標的。
追う者と追われる者。誘う者と誘われる者。
『ルビー・ムーン』―――――ごく一部の関係者の間では有名な泥棒の正体。今夜も予告状で示した獲物を狙ってこの街を駆け抜けている。
―――――ピピピッ・ピピピッ
「こちらガウリィ。どうした?」
【こちらアメリアです!そっちの状況はどうですか?】
「さっきから変わりなし。そっちは?」
【こちらも変わりありません。後20分程で犯行予告時間ですから、くれぐれもよそ見したり寝たりしないで下さいねっ!】
「あのなぁ・・・寝るわけないだろ。んじゃまた後でな」
【ガウリィさんのカンに期待してますから、何かあったら絶対に連絡入れて下さいねっ!】
―――――ピッ
コンビを組んでいる同僚のアメリアからの通信が切れると、不意に闇が増したような気がした。
期待と緊張に口の中が乾いてくる。ぺろっと唇を湿らせると懐から取り出した煙草を取り出して口にくわえた。
紫煙が強く吹き抜ける風に吹き散らされていく。
ゼルガディスに詰問され、アメリアに正義の講釈をたっぷりと聞かされても、俺は何も答えなかった。
ルビー・ムーンに関することは、何一つ曖昧にして誤魔化してきたのだ。
彼女はどんな手を使ってでも、俺の手で捕まえたいから。
俺だけが彼女に認められているという誇りと、俺だけが彼女の正体を知っているという優越感。
それと同時に。
彼女には卑怯な俺の姿を絶対に見せたくなかった。
過去に何があったのかは知らない。けれど、何かに手痛い裏切りを受けて、癒しきれない傷を抱えている彼女。
そんな彼女を裏切るようなまねだけは絶対にしたくないのだ。
彼女を捕まえるのは俺の仕事。俺だけが許されたライバル。
だからこそ、どんなに脅されても詰め寄られても、彼女のことは話せない。話す気もない。
・・・・・・心の奥で誰かが皮肉げに笑っている。
お前はそれでも刑事なのかと。
本当は彼女を捕まえる気なんてこれっぽっちもないんじゃないか?
お前――――あいつに惚れただろう?
私情を仕事に持ち込んで冷静になどなれるはずないだろう?
逃がせば逃がす程、ルビーと関わっていける。
それをお前はわかっているはずだ。それを無意識に望んでいるだろう?
そんな心の声に皮肉な笑みを口元に浮かべ、俺は煙草を投げ捨てようとして・・・・懐から携帯灰皿を取り出して丹念に火を消した。
「俺は刑事だ」
ゆっくりと自分に言い聞かすようにつぶやいて、俺は赤い月を睨み付けた。
懐に忍ばせてある手錠がずしりと重みを増した気がする。
俺とあいつの真剣勝負。
手加減は必要無い。
(馴れ合う気はないの。ゲームは真剣で危険な程面白いしね)
戦いに望むルビーの、あの不敵な笑みが脳裏に浮かぶ。
きっと今頃、息をひそめながら同じような表情を浮かべていることだろう。
追う者と追われる者。
本気でなければ触れ合えない。
だからちゃんと戦う覚悟は出来ている。
強い風が髪をなぶって通り過ぎていく。
真夜中のビジネス街は、昼間あれ程いた人間の気配が完全に消え去って、まるでゴースト街のような雰囲気を醸し出していた。
無機質な積み木を積み重ねて並べたようなこの街一角が今回の舞台。
いつものごとく、俺たち警察は最前線にいさせてはもらえなかった。ここなら多少の騒動が起きたとしても一般人の目にはほとんど止まることはないと思うのだが、それでも万が一を恐れる者がいる。
相当後ろ暗いことをしているに違いない。
それでも警察を頼ってきたということは、それだけ今回の標的が価値のあるもの、ということなのだろう。
別に狙われている物に興味はないけれど。
・・・・・そういえばルビーも狙う物に対してはまったく興味を示していなかったな・・・・
ふと、この間会った時にルビーが漏らした一言と表情を思い出した。
やりたくないけれどやっている。確かにそう言っていた。
あの自分の意志をしっかりと持っているルビーが渋々ながらも従い動いている。
一体、ルビーの後ろには誰がどんな目的をもって動いているのだろう。
あの時は刑事という立場ではなく、ただの男としてルビーに接していた為、今頃になってあの時にさり気なく示された言葉の深さに気がついた。
けれど、気付いたといっても今はそれを深く考えている時間はない。
小さなサイレンが手元の通信機から響いた。犯行があった事を告げる赤いランプが点滅している。
【ガウリィさんっ!】
通信機からアメリアの声が響いた。
「わかってる!ゼルの指示はっ!?」
【あたしたちは怪しい人を片っ端から捕まえて回ります。ガウリィさんは自分の本能に従って自由に動け、とのことですっ!】
「はぁっ!?いいのか、それで?」
【ガウリィさんが頑固なことはよーくわかりましたから。だけどっ!見つけたり捕まえたりしたら、今度こそ絶対に呼んで下さいねっ!】
「了解っ!」
同僚2人の焦りと悔し気な表情。そして俺の頑固さに呆れ、期待する、何とも形容し難い雰囲気がその短いやり取りから伝わってきた。
思わず苦笑しながらも、俺はすでに走り始めていた。
目星をつけていた1つのビルに向かって。
静かなビル街に、走る俺の足音だけが響いていく。どれだけの人数が今この瞬間ルビーを追っているのだろう。
感覚を澄ませると伝わってくる微かな殺気。怒号を響かせてはいけないと厳命されているゆえに、警備員たちのプライドを傷つけられた歪みが殺気となってまだ見ぬルビーに向けられているのだ。
そんな連中の乱れた気配を尻目に、犯行現場からは遠くて誰も視野に入れていなかったビルに向かって俺は走る。
絶対に会える。
熱くなっていく身体とは裏腹に、自分でも意外な程頭は冷静になっていく。
第2ラウンドの開始をあざ笑うかのように、赤い月が俺たちを見下ろしていた。
◇◇◇◇◇
今回の犯行予告現場となったのは、ビジネス街のあるビルの一室。
セキュリティシステムは万全で、各フロアや階段、廊下などにも監視カメラが置かれ、24時間疲れを知らないコンピューターの警備システムが起動されている。
更に、対象物が置かれた部屋の監視カメラには熱センサーによる追尾システムもついており、万が一誰かが部屋に入ってきたら、必ずその姿が写し出されるはずなのだ。
だが・・・・・・
こういったハイテクを駆使した警備体勢をしいた現場であっても、どういうわけか犯行は成立している。
今回も例外ではなかったらしい。
無理に機械を壊した、という形跡すらない。
まるで魔法のように。鮮やかなマジックのように、指紋はおろか姿でさえ見せることなく予告通り盗んでいく。
けれど、俺は正体を知ることが出来た。
だから予測出来る。
ビルの中。
普通、何かから逃げるとしたら人間は何故か上へ逃げる習性を持っている。
もちろん、冷静な判断をするならば下へ逃げるのが筋だ。
建物の中から1秒でも早く脱出することが、自らの逃げ道の選択を広げることになるはずなのだ。
警備体勢もそれを踏まえて包囲網を引いている。
このビルから飛び出すことが出来たとして、どういったルートを辿るのか。考えられるだけのケースをシュミレートして、そして警備員を配置していたはずだ。
けれど盲点がある。
机上に広げられた地図や見取り図では、立体感覚を欠きやすいということを。
それ以前に、普通ならば誰も考え付かない。考えてもあまりにも現実的でないことに気付いて口にすることをためらうだろう。馬鹿げた考えが浮かんだ時点で、口にすることもなく却下するかもしれない。
――――けれど、彼女ならやりかねない。
常人では不可能な、このルートを走り抜けることを。
◇◇◇◇◇
強い風が吹き抜ける度に、ざわざわと木々がざわめく。
人工的に造られた薄い大地を、それでもしっかりと根で抱きながら、汚れた空気を少しでも浄化させているかのごとく。
そのビルの屋上は、一瞬ここがコンクリートの上だということを忘れそうな空間が広がっていた。
四角い庭が出来ている。
ちょっとした憩いのスペース、というにはしっかりとした作りの人工庭園。
常緑樹の植え込みが四方を囲み、芝が敷き詰められプランターに色とりどりの花が植えられている。
中央にはあずまやがあり、デスクワークで強ばった身体と目をほぐすには最高かもしれない。
濁った夜空に浮かぶ赤い月。
俺はあずまやのベンチに座り、意識を研ぎすませて彼女が現れるのを待った。
カン、でしかない。
彼女が必ず現れるという保証も確信もありはしない。
けれど、警察と頭脳合戦をやるのも悪くないと言った彼女だから、常識や普通の概念を崩してくるだろう。
一瞬ごとに方向を変えて吹き抜けていく風。
ふと、気配が生まれた。
微かに木が軋む音。それを耳にして思わず俺の唇に笑みが浮かぶ。
口の中が干上がっていくような心地よい緊張感が身体を支配する。
会える喜びとこれから始まる追走劇。
「待ってたぞ、ルビー」
ベンチから立ち上がり揺れる茂みにニヤっと笑いかけると、ごそごそと音がして思った通りの人物が肩を竦めて現れた。
「・・・・いいカンしてるじゃない、ガウリィ」
挑戦的な赤い眼差し。
背中に小さなリュックを背負って動きやすい黒い服に身を包んだ少女が、乱された長い髪をかきあげてニヤっと笑い返してくる。
赤い月を背後に従えて。小柄な彼女が大きく見えるのは何故だろう。
息を乱すこともなく真直ぐにオレを見据えている。
俺の想像通りなら、また彼女がここにいる事実をいうのならば。
ルビーは犯行現場となったビルから、一歩も地上におりることなくこのビルの屋上まで、他の隣接するビルを伝って辿り着いたに違いない。
似たような高さがならぶビジネス街のビル。密集しているし夜で視界もいいとはいえない。
確かに隣のビルに移る幅がかなり開いている場所もあるし、屋上の高さも揃っているわけじゃない。
けれど、実際に一度ルビーを追いかけてみて。
彼女の運動能力と思い切りのよさと無茶を考えれば、飛び移りながらここまで移動するのは決して無謀なことではないと思ったのだ。
そして、俺の予感通り。彼女はここにいる。
「ルビーを捕まえるのは俺だけの特権だからな」
「まあね。確かにここなら邪魔は入らないけど。だけどあたしを捕まえるなんて、あんたにはまだ早いわよ?」
「でも、来た道を戻ったりなんかしないだろう?応援を呼んだりはしていない。俺との勝負、逃げたりしないよな?」
「当然よ」
はっきりいって、この限られた空間での勝負ならば、俺の方が有利だ。
この間、公園でテストされた時にわかったこと。彼女はスピードと跳躍力はあるが持久力がない。小柄な少女にしてみれば当然のことだ。
その点俺は、体力には自信がある。
疲れ果てて動けなくなるのはどうみてもルビーの方だ。
けれど、ルビーの瞳に浮かぶ揺るぎない自信。
真剣勝負の前の心地よい高揚感に包まれているのか、赤い月の光の元、笑みを浮かべている彼女の表情はひどく妖艶に写る。
ごくり、と咽が鳴った。
ちゃりっ、と小さく手錠が揺れる。
「でもあたしもそこそこ疲れてるから、制限時間は20分ね。文句ある?」
「いや。充分だ」
「・・・・余裕じゃない。キャンセルは聞かないからね」
「わかってるさ」
あずまやの隣に立っている時計で時間を確認してニヤっとお互いに笑いあう。
どちらも譲る気はない、自信に満ちた笑顔を交わして、そして・・・・
気紛れな風が吹き抜けた瞬間。
ルビー・ムーンが赤い月に向かって跳躍した―――――
逃げ回るには狭い限られた空間を、彼女は舞うように俺の手をすり抜けてゆく。
庭園を取り囲む低木の垣根の外に広がる、街の光。
地上までの距離は40メートルを遥かに超えているだろう。
隣に立つビルのせいでそんなに高度があると思えないが、木々の向こうに広がる夜景が美しい程、不安定な場所に立っていることを思い知らされる。
フェンスや囲いなどない。
垣根の向こうは深い闇の底。
けれどルビーは地上と同じであるかのように走り、飛ぶ。
木に掴まってあずまやの屋根に飛び乗り、危なげない絶妙なバランスを保ちながら俺が駆け寄るのを待っている。
楽し気に怪しく光る紅い瞳。
紙一重に近い状態まで惹き付けてから、躱していく。
限られた時間で彼女が逃げ切る為の戦略。この方法が一番体力を使わなくて済むのだ。
彼女の敏しょうさだから出来る方法。
だけど、俺だって多少自信はある。
限られた狭い空間で、どれ程敏しょうに動き回ったとしても限度はある。
彼女が足を停めて振り返るごとに、俺がルビーに追い付く時間が短くなっていることに、気付いているだろうか。
彼女を追って走るごとに、身体がこの場所を覚えていく。
植え込みの場所を、プランターの場所を。頭が理解するよりも早く身体が反応していくのだ。
時間が流れる程に、障害物が消えていく。そんな感覚。
追い付いてみせる。
それは予感でなくて確信。
屋根の上から俺を覗き込んでいるルビーに向かって、俺は不敵に笑ってみせた。
「そろそろ疲れが溜まってきたか?」
「じょーだん。あんたと違ってあたしは若いんだから」
「俺だってまだまだ充分若者だぞ!」
「あら。ムキになるところが怪しいわよね」
「言ったなあ!」
緊迫感のない会話を躱しつつも、じわじわと彼女へ近づく。
彼女が屋根から飛び下りるタイミングをはかっている。
早すぎても遅すぎてもいけない。
俺の身長だったら、あずまやの屋根に直接手をかけて飛び移るのが可能だ。少し助走をつければ問題ない。けれど・・・
屋根の上へ飛び移るか、彼女が降りてきたところでタイミングを合わせようか。
彼女と正反対の、でも同じ思考をこらしている。
互いの息づかいさえ探り出すように。
ほんの僅かな静かな時間が、とても長く感じられた。
耳にすることなど出来ないはずの腕にはめている時計の秒針の音が、直接手首から伝わってくるような、そんな張り詰めた静寂。
――――ピーっっ!!
突然鳴り響いた小さいが鋭い音に、2人の身体がビクっと身じろいだ。
アメリアからの通信。けれどそんなものにかまっている余裕なんてない。
その音を合図にしたように、俺たちは同時に動いていた。
俺は屋根に手をかけ、彼女は屋根を蹴り時計に飛び移ろうと手を伸ばす。
――――けれど、俺は屋根の上には飛び移らなかった。
上に登ろうとする力を、前にもっていく。
あずまやの中にある木のテーブルの上に飛び乗ると、その勢いのまま更に前に向かって飛び出す。
・・・・時計の、ルビーの降りてきた場所へと。
【ガウリィさんっ!今どこにいるんですか?・・・・ちょっとガウリィさん!もしもし?もしもーしっ!】
懐から手錠を取り出した拍子に通信機も外に飛び出て、敷き詰められている芝生の上に転がり落ちた。
アメリアの声が微かに闇の中響いてくる。
「・・・・くぅ・・っ・・・」
芝生の上に叩き付けられた時に息が詰まったのか、俺の身体の下から苦し気な声が漏れた。
腕をしっかりと掴んだまま、慌てて起き上がる。
「・・・・・・っこの、バカ力っっ!」
「悪い。勢いついたままだったから・・・大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ!?自分の体格考えてよねっ。普通か弱い女の子にタックルかけてくる!?」
「・・・・・・か弱い?」
「何よ。文句あるわけ?」
「ないない・・・不可抗力だったんだから許してくれよ」
振り子の要領で飛びかかった俺のスピードは、今まで以上に速いもので。下に降りたルビーが走り始めた時にはもう、彼女に向かって手を伸ばしていたのだ。
勢いがつき過ぎていた為、後ろから突き飛ばすような形になり、芝生の上を何度か転がった。
・・・・確かに女の子相手には乱暴な手段だったかも知れない。でも。
「お前さん相手に手加減なんてしたら逃げられちまうからな」
引き寄せてニヤっと笑うと、肩を竦めてきた。
「そりゃそうかもしれないけどさ」
「制限時間内に捕まえたから、今回は俺の勝ち、だよな?」
「さて、どーかしら?」
掴んだ細い手首。一瞬ためらいながらもかけた手錠。
今、俺とルビーの手は。冷たく重い鉄でつながれている。
それなのに、ルビーの瞳からは諦めた色は伺えない。未だ鮮やかな闘争心。その証拠に不敵な笑みは彼女の顔から消えない。
「ま、あたしがライバルと認めただけのことはあるわよね。だけど、あたしは捕まるわけにはいかないの」
「でもこの手錠は外れないぞ。俺の力でも引き千切ったりは出来ない。鍵をやるわけにもな。さあ、どうする?」
「こうするの」
チャリっと鎖が揺れて音をたてる。
目の前に持ち上げられた彼女の右手と、俺の左手。
にっこりと微笑みかけられて、ドキッとした瞬間に一瞬緊張が途切れた。
――――――ドンっ!・・・・ドサっ!
「うわっっ・・・と、お・おいっ!」
身体全体の体重をかけての体当たりに、さすがに体勢を崩し尻餅をついてしまった。そして、手錠で繋がっている為、その勢いのままに彼女の身体が俺に抱きつくような形になった。
・・・・・頬を掠めていった柔らかい猫っ毛とシャンプーの香り。
(お前――――あいつに惚れただろう?)
不意に心の声が蘇る。刑事じゃない男の部分が無意識のうちに彼女の背中に手を回し、抱きしめようとする。
チャリっと、鎖の揺れる音。
「―――ルビー・・・っっっ!?」
首に巻き付けられた細い両腕。俺の左手が変な方向にひっぱられているが、そんなことはどうでもよくって。
パチっ・・・・と静電気が弾ける音が聞こえたような気がする。でも、そんなこともどうでもいい。
―――――――柔らかい唇が触れていた。
目を見開いた先に見える、瞳を閉じたルビーの微かに火照った顔。
幻のようだったこの間のよりも、長い、キス。
「・・・・・・・ルビー・・・・?」
やがて離れた彼女を、俺は無意識のうちに呼んでいた。
「ごほうびよ。じゃあまたね、ガウリィ」
惚けて力の入らない俺の身体を押し退けて、彼女が勢いよく立ち上がる。
「またねって・・・・っっ!?」
信じられない思いで、俺は自分の左手と彼女の右手を交互に見ていた。そんな俺の様子をまだ赤い顔のままルビーが楽し気に見つめている。
――――――手錠が外れていた。
俺たちを繋いでいた鎖。今は両方の手首から離れ、芝生に転がっている。
まるで最初からそこに落ちていたかのように。
「あたしを捕まえるのはまだ早いって、言ったでしょ?」
夢心地な幸せの余韻と、信じられない驚愕。混乱した俺は一瞬出遅れた。
「・・・・!まてっ!そっちは・・・・っっ!!」
ためらいなく彼女が走る先は、屋上の縁を囲う植木の先。
彼女が来たのとは反対側。隣のビルなどない、遥かに広がる夜景の街。
――――ここは地上40メートル・・・・・!
走りながら背中に背負ったリュックから垂れ下がる紐をひっぱる。しゅうぅぅぅっと空気の漏れるような音がして、次の瞬間――――――
「ルビーっっ!」
叫んだ俺を振り返って。ルビーはにこっと笑った。
バサっと、彼女の背中から飛び出した、パラグライダー。
一瞬ごとに方向を変える気紛れなビル風を操って、闇の空を漂うように、彼女は飛び去っていった。
あまりにも無茶で無謀な。でも、彼女ならやってもおかしくない大胆な行動。
闇に紛れる黒いパラシュートはおそらく誰の目にも止まらないだろう。見送る俺の目でさえも、濁った夜空に紛れ、すでにどこにいるのかわからないのだから。
「・・・・・とんでもない奴だよ。お前は」
一度に色々なショックがあってまだ呆然としている俺の耳に、ピーっと無線の音が再び響く。のろのろと落とした通信機を拾いに行き、口を開いた。
【ガウリィさんっ!?大丈夫ですか!ルビー・ムーンを見つけたんですかっ!?】
「悪いアメリア。逃げられちまった」
【何ですって!?じゃあ今までルビー・ムーンといたんですね?一体今どこにいるんですか、ガウリィさん!】
「ああ・・・今からそっちに戻るよ。じゃあまた後でな」
【ちょっと待って下さいっ!ガウ・・・っ!】
プチっと通信を切って大きな溜め息をつくと、俺は煙草を取り出し口にくわえた。
紫煙を辿りながら混乱した頭を整理しようと心掛けるが上手くはいかない。
けれど・・・・俺のどこかがほっとしていた。
今回の勝負は俺の負け。だから。
これでまた、彼女に会える、と。
彼女の瞳と同じ赤い月が、あざ笑うかのように俺を見つめていた―――――
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