スレイヤーズNEXT→TRY 三部作  『ジャンプ』

エピソード4

〜嘆きの竜が守るもの 後編〜


  

 パチパチと暖炉で薪がはぜる音が、静かな室内に微かに響く。
 長い間使われていなかった家が、久しぶりの客人の訪れに生気を取り戻していた。
 思っていたより荒れてはいなかったが、軽く掃除をして人心地をつけると、お湯を湧かして香茶を煎れる。

 「・・・・ねぇガウリイ。何か変な事になってると思わない・・・?」
 「なんだ。そんなこといつもの事じゃないか」
 「・・・・・・・・そだね・・・・」

 ・・・・・・はぅ・・・
 2人並んで暖炉の火を眺めながら香茶を啜りつつ。
 神殿から少し離れた人間サイズの小さな家に落ち着いたあたしたちは、思わず大きな溜息をついていた――――

 

 時は少し遡る。

  

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 「・・・・・・・・何者じゃ・・・・」

 

 それは、今まで見た事も聞いた事もなかった竜だった。
 小柄な白竜よりも更に小さな身体は、虹色の鱗で覆われている。
 かなりの年を重ねた竜らしく、その艶やかさはくすんでしまっているけれども、それでもその姿を太陽の下で見る事が出来たなら、光に反射してさぞかし綺麗だろうと思われた。
 「・・・・・・・・・まさか・・・虹竜(プリズム・ドラゴン)・・・・・!?」
 リオルの掠れた問いかけに反応して警戒心を纏わせてはいるものの、攻撃の意思は見当たらない。
 いや・・・すでに誰かに攻撃出来る程の力が残っていないのだ。
 直感的に感じる。
 すでに、寿命が尽きかけているのだ。
 身体がぼやけて見えるのは、そのせいだろう。
 「リオル。この竜族を知ってるの!?」
 掠れたつぶやきを漏らしたリオルに問いかけると、自信なさげな返事が返ってきた。
 「俺たち竜族の中で、一番小さくて一番綺麗で一番平和好きな竜族だった・・・って。でも遥か昔・・・赤の竜神スィーフィードが滅んだ時に一緒に絶滅してしまったって、赤ん坊の時にかーちゃんが言ってたような気がするんだけど・・・・・」
 「絶滅・・・・?」
 あたしとガウリイはリオルの背中から滑り降り、注意しながら虹竜を見つめた。

 

 ――――有名な降魔戦争ですら約一千年前。
 赤の竜神(フレアドラゴン)スィーフィードと赤眼の魔王(ルビーアイ)シャブラニグドゥとの戦いは、この世界が金色の魔王によって創られた時から始まっているとされている。
 赤眼の魔王シャブラニグドゥを7体に分裂させ封印し、赤の竜神スィーフィードは自ら4つの分身を残して滅んだとされる戦いと言うのが一体いつのことなのかはっきりはわからないが、伝説によると約五千年前とされている。
 人間の感覚じゃ、もう昔過ぎて実感とか全然わかない。すでに伝説として語り継がれている物語。
 ・ ・・・・・そのくらい遠い過去に、忘れられた竜族・・・?

 

 「でも生きてるぞ」
 「かろうじて・・・と言う言葉がつくがの・・・・」
 ガウリイの声に、嗄れた低い声が紡がれる。
 気が遠くなる程の長い年月をひっそりと生きてきた静かな絶望を含んだ響きに、無念さを滲ませて。
 「・・・・この子らを同族にも知られる事なくひっそりと守ってきたが・・・遂に目覚めた者はおらぬ。わしが最後じゃ・・・・・」
 深い悲しみと慈しみの混じった眼差しで、懐に抱いている物を見つめている。
 それは、虹竜の身体の大きさに比べると本当に小さな、真珠に似た光沢を持った虹色の石、に見える。
 それは、そう・・・・人間の大人の拳大の卵の形をした、石。
 ―――――まさかこれが・・・・
 「イリサイト・・・じゃあそれって!?」
 『イリサイト』の名前を出したあたしをギロっと睨み付けるその視線の鋭さに思わず一歩下がったあたしの前に、ガウリイが庇うかのように立った。
 「・・・・お前たちも、これが目当てか・・・」
 ゆっくりと長い首をもたげて威嚇する虹竜に、あたしはガウリイの腕をポンっと叩き一歩前に出た。一度深呼吸してから真直ぐ向かい合う。
 「あたしたちはこの街の町長から、この神殿の老神官に奪われたイリサイトを取り戻してきて欲しいと頼まれたのよ。あなたが大事に抱いている卵が、人間たちが『イリサイト』と呼んでいる物なのね」
 「・・・・・・・・・・」
 「ねえ、事情を説明してくれない?同じ竜族であるリオルも何がなんだかわからないようだし?何故あなたはそんな姿になってまでそれを守っているのか、何故人間に化けて神官として生きてきたのか・・・・あたしたち人間には、イリサイトは魔法力を跳ね返す力を持つ幻の宝石、としてしか伝えられていないのよ」
 「オイラも知りたいです・・・・・何故『絶滅』したのか。虹竜のことは竜族でも知らない奴が多い、そのわけを」
 あたしの言葉に頷きながらリオルもまた真直ぐな視線で虹竜を見つめている。
 ・・・・いきなり態度とか言葉遣いとか改まってるもんなぁ・・・
 もともとリオルは善竜らしいから、神殿とかこの虹竜の雰囲気に飲まれてるってのもあるけど。
 「・・・・・・・・」
 「沈黙は却下!そーやってだんまりを続けるようならこっちも遠慮なくイリサイトを頂いていくわよ。あなたの寿命が尽きるまで待ってるまでもなくね」
 「おい、リナ」
 「それに。あたしたちが黙って出て行ったとしたって、いずれあなたの寿命が尽きた時には表の門に仕掛けたトラップも解除されて、何も知らない人間が踏み込んでここを荒してしまうなんて目に見えてるじゃない。それでいいわけ?」
 「・・・・・・・・・」
 「人間にも同族なはずの竜族にさえも触れさせたくない相応の理由があるなら、聞くわ。それでも沈黙を続けて何も遺さずに逝くというのなら、付き合う義理もないからあたしたちも勝手にやらせてもらう」
 あたしの声の残滓が空間に微かに響く。そして続く静寂。
 短く、長い時間。微動だにせずに見つめあったまま張り詰めていた空気が、不意に緩んだ。
 「・・・・・・・・・・・・・面白い人間じゃな」
 「最近よく言われるわ」
 肩を竦めたあたしに呆れを含んだ溜息をつき、虹竜はゆっくりと目を閉じた。
 「・・・・・・・・じゃが少し疲れた。今日は眠らせてもらう・・・」
 「・・・・・をい・・・・」
 いよいよ・・・と盛り上がってきた期待をカクンと落とされて思わずつんのめったあたしをガウリイが引っぱり上げた。
 「・・・・誰かと話すなど、ここ数年なかったものでな・・・長い話になる・・・・・それでもよければここを好きに使うがよい・・・・」
 「好きに使えって・・・おーい・・・・?」
 「完全に寝ちまったぞ」
 「・・・・・・・まぢ・・・・」
 そのまま虹竜は眠ってしまった。
 これは信頼してもらったと見るべきなのか・・・・ただ単に、死期が近い生物は眠ってる時間が多くなるっていう状態になってるだけとも取れるけど・・・・。

 

 

 ――――このまま帰るわけにもいかないし。

 しょうがないから、あたしたちは神殿内をあちこち探検して回った。
 祭壇のある広間といくつかのだだっ広い部屋。
 奥はかなり崩れてて、長い事足を踏み入れた形跡すらない。
 神殿の脇には人間サイズの小さな家があった。
 多分、彼が人間の姿で神官として暮らしている時に使っていたものなのだろう。それと、街から来た人間が滞在する時に使っていた物か。
 訪れる者は滅多にいなかったと言う話だし、虹竜の様子を見る限りでは、すでに人間の姿を取る事も出来なくなっているから、長い事使われていないようだけれど。
 中を確かめてみると、やはり使われている様子はなかったものの、意外にもそんなに古くない薪や備蓄食料などが見つかった。
 どうやら、神殿の管理責任者である町長さんの家の者が冬ごもりの必需品として差し入れた物らしい。
 「リオル。あんたは人間に変身出来ないの?」
 「・・・・オイラみたいな若造にはまだ無理ッス・・・・」
 さすがに竜のままじゃこの家には入れないからリオルに聞いたところ、この情けない返事。
 どうやら人間に変身するのには、それなりの魔力と技術と経験が必要らしい。
 「んじゃあんたは神殿で寝泊まりね。ここにはあんた好みの木の皮とか根っことかないけどどーする?」
 「薪かじるか?」
 食料をごそごそ漁ってみるけど、冬場の備蓄食料だけあって青菜とかの新鮮な野菜なんかは望むべくもない。小麦粉とかにんじんとか干し肉や干し魚なんかは食べるんだろーか?竜は雑食性って話だけど。
 リオルが住んでいたところも雪山だけど、こことはレベルが違う。
 外の氷山に良さそうな食料を探しに行くとしても、木々自体が真っ白に凍り付いてるもんなぁ。
 「・・・・・薪でいいや。冬場はしょーがないもんな」
 諦めて両手に薪を抱えてリオルは神殿に戻って行った。
 神殿の方には火の気がなかったけど、神殿事体が崖の中にあるから風もほとんど入って来ないし、もともと雪山に住んでいる白竜なんだから寒さの心配はしなくていいだろう。
 それからあたしとガウリイは慌ただしく何とか家の中を人が住める状態に整えて、そして冒頭に戻るのだった――――

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 「なーんか疲れたよなぁ」
 「ほーんと・・・・あーあ、今頃はイリサイトを手に意気揚々と町長さんのとこに戻って豪華なごちそうとふかふかベッドにありつけていたはずなのに」
 香茶を啜りながらぼやくあたしにガウリイが苦笑した。
 「そー言うなって。この家があっただけでもラッキーだろ?」
 「まぁね。街からいちいち通うのは色々と面倒だし」
 連絡手段がない為、もしかしたら人当たりの良いあの町長さんは帰ってこないあたしたちを心配しているかもしれないけれど、街までは遠いし、いちいちリオルに頼んでトラップをくぐって行き来するのも面倒だし、他のやかましい人間に見つかると大事だし。
 何より、依頼事体がこうなった以上どう転ぶかわからない。
 「どうするんだ?」
 「・・・・どうしよっかなぁ」
 香茶のカップを下に置いて小さく溜息をついたあたしに、ガウリイが伸ばした手がポンッと頭に乗せられ、そのままそっと引き寄せられた。
 いまだに恥ずかしさにちょっと抵抗あるものの、あたしはちょこんっとガウリイの肩に寄り掛かる。
 「珍しいよな。お前がお宝目の前にして我を忘れないのって」
 「あのねぇ・・・」
 冗談と本気が混じっている笑みを乗せたその声に、むくれてみせながらもあたしも苦笑する。
 「まだちゃんと話を聞いたわけじゃないけどさ。それでもイリサイトの正体知っちゃうとね、あたしでもちょっと躊躇うわよ」
 「イリサイトって、あの竜が抱いてたやつだろ?」
 「そう。多分、孵化しないまま死んでしまった虹竜の卵の化石の事・・・」

 あの虹竜が抱いていた卵。
 けれど、命の気配はそこにはなかった。
 (目覚めたものはおらぬ)
 虹竜もそれは理解しているのだろう。でも、もしかしたらその事実を認めたくは・・・いや、認めようとしていないのかもしれない。
 頑に、自らの寿命が尽きる時まで暖めて、ひたすら孵化を待ち望んでいたのだ。

 「卵料理や鳥のヒナの丸焼きとか、そういったものにはもちろん抵抗ないわよ。けどさ、孵化する直前の卵ってのは、さ」
 「ああ・・・何となくわかるな、それは」
 「うん・・・」
 ゆっくりと髪を撫でてくれる手が優しくて、沸き上がってきたいたたまれなさをそっと掬い取ってくれるような気がする。
 そっと目を閉じて、小さく息をついた。
 生まれてくる直前で失った命の形・・・胎児。
 殻を破り光の世界に飛び出そうと、すでに生きる用意を整えて殻の中で今か今かとその時を待っていながら、遂に殻を破る事もなく命絶えた、その亡骸。
 卵だと。そうと知らなければ、報酬を得る為に易々とそれを砕く事も出来ただろうに。
 今は少し、躊躇う。
 「虹竜の話を聞いてみて、それからね」
 「そうだな」
 顔を上げて気持ちを切り替えたあたしに頷いて、ガウリイの手がポンポンと軽くあやすように頭を叩いてからスっと離れる。
 ちょっと、名残惜しい感覚が髪に残った。
 先に寄り掛かっていた身体を起こして離れたのはあたしの方なのに。
 いつも触れられる時は恥ずかしいくせに、離れていく時は少し寂しいと思ってしまう。隙間の出来てしまった距離が微かに切なくて。
 でも、なかなか自分から意識して触れていく事は出来なくて、いつもどこかで、ガウリイから触れてくれるのを待ってるような気がする。
 ガウリイに対して、安心と共に緊張も感じてしまうのだ。
 何で緊張してしまうのか、自分でもわからないんだけど。
 「リナ?」
 不安、とは違う。
 でも、瞬間的に沸き上がる切なさは、ガウリイの事を好きだと自覚する度に強くなる。
 それはどうして?
 「リナ」
 「・・・・あ」
 呼ばれた名前にドキっとした。
 さっきまでとは明らかに違う響きと熱が、あたしを誘って一瞬何も考えられなくする。
 魔法を使えないガウリイが、あたしにだけかける魔法。
 壊れ物を扱うかのようにガウリイの大きな手のひらがあたしの顔をそっと包み込む。
 至近距離で覗き込んでくるガウリイの青い瞳に写ってるあたしの顔は真っ赤に染まっている。恥ずかしくで目を逸らしたいのに、その眼差しに宿る想いに魅入られて瞬きすら出来ない。
 緊張に胸がキュウぅっと締め付けられるようで、これ以上痛くならないようにあたしは目を閉じた。
 それを合図に、唇に柔らかく触れてくる感触。

 ―――――ガウリイとの、これで7回目の、キス。

 無意識にキスの回数を数えてしまってるのって、変だろうか。
 ガウリイのキスはいつも優しい。
 緊張し過ぎて無意識に力が入っちゃってるあたしの反応を確かめるかのように、何度も軽く触れてくる。
 唇で触れられる度にあたしの身体は熱くなって、でもその熱に緊張が溶かされていく。
 ドキドキは止まらないけど胸の痛みはなくなって、ついでに身体の力も入らなくなると、ガウリイの腕がしっかりとあたしを抱きしめて、そしてゆっくりと深く唇を重ねていく。
 ・・・・・キスは、好き。
 キスをしている時は頭の中が白くなって何も考えられなくなって、ただガウリイへの想いだけがあたしの中で一杯に膨らんでいく。その酔ったような感覚が不思議な程心地よくて。
 好きな人とするキスは、こんなにも気持ちが良い。
 理性から緩んだ無防備な状態では、極端に意地っ張りで照れ屋のあたしでも素直にそう思う。
 「・・・・・ん・・・・」
 ただ、唇が離れて温もりが消えるとすーっと理性が戻って来て、目を開けた途端に無茶苦茶恥ずかしくて仕方がなくて、つい張り倒しちゃったり呪文をぶちかましちゃったりしちゃうのだ。
 子供っぽいって自覚はあるんだけど・・・もはや条件反射のようになってしまっていたりする。
 「・・・・・・リナ・・・・」
 でも、今日はいつものパターンにならなかった。
 ガウリイの掠れた熱い吐息が耳を掠める。反射的に首を竦めてあたしが目を開くよりも先に、再び唇が塞がれた。
 さっきよりもやや強く。
 とっさに逃げようとしたあたしを強く抱き込んで更に引き込む。
 ・・・・ぺろ
 (―――――――ちょっ・・・!?今の、って・・・・!?)
 突然唇を舐められた感触に、先程までのほわほわした心地良い余韻など吹っ飛んだ。
 思わず目を開いて・・・焦点が合わない程間近に迫ってた目を閉じているガウリイの綺麗すぎる顔に、反射的に慌ててもう一度目を閉じる。
 身じろぎしたあたしを逃がさないかのように、いつもは髪を梳いていてくれる手が、いつの間にかがっしりとあたしの頭を抱え込んでいた。
 どこにも逃げ場がなくて、再び唇を舐められる感触に、あたしはパニックを起こしていた・・・んだと、思う。
 咄嗟に唇を塞がれている事を忘れて、ガウリイに文句をつけようとして・・・・微かに開いた唇の隙間からするりと滑り込んできた熱いものに触れられた途端に、意識が真っ白に飛んでしまった。
 本当に、何も考えられなくて。
 口の中で舌を搦め取られ、ただなすがままになっていく。触れられる度に背中のあたりから何だかゾクゾクしてむず痒いようなものが駆け降りていき、身体中が痺れていく・・・・これは心地良いとか言うそんな半端な感覚じゃない。
 「・・・・・・・くっ・・・・ふぅっ・・」
 息すらも奪われて、意識が朦朧としていた。
 もう何がなんだか全然わからない。
 「・・・・・・リナ・・・・・」
 いつ唇が離れたのかわからなかった。
 いつの間に床に寝そべっていたのかも。
 息苦しさから解放された肺が夢中で新鮮な空気を求めている。激しく上下する胸の鼓動は、まだ早鐘のように高鳴ったまま。
 「・・・・リナ?」
 心持ち心配げな響きを乗せた呼び掛けに、震える目蓋を開く。潤んだ視界に、覗き込んでいるガウリイの顔が広がった。
 「・・・・・・ガウリ・・・・」
 「すまん、つい。大丈夫か?」
 抱き起こしてくれるガウリイの声に、少しずつ感覚が戻ってくる。同時にこのまま燃えてしまうんじゃないかと思う程の激しい羞恥心が一瞬にしてあたしを支配した。
 「だ・・・っ!?大丈夫なわけ、あるかぁーーーっっ!」
 めきょ。
 渾身の力を込めて叩き込んだ右ストレート!
 ・・・・・でも、いまだに手が微かに震えてるから、威力は半減しているかもしれない・・・・
 「なっ・・なんつーことすんのよっ、あんたわっっ!」
 「何って・・・キス」
 さっきのパンチの型を顔につけながらも、さほどダメージを受けていないガウリイがさらっと答えた。
 〜〜〜〜〜あんなキス知らないっ!
 つーか!?あれもキスなのっ!?あれがもしかしたら噂に聞いてたディープキスってやつっ!?
 そりゃ、唇が重なっていたのは事実だからキスには違わないんだろうけど、あんな・・・魂が引き込まれるような・・・
 無意識に両手で口を隠すと、唇に触れた指先に濡れた感触。途端にボンっとさっきまでのキスが脳裏に蘇ってしまった。
 〜〜〜〜うひゃあぁぁぁぁっっっっ・・・・・・っっ
 あ、あんな生々しいものだったなんて想像もしてなかったんだってばっっ!
 「リナ?おーい・・・」
 「あっ、あたしご飯の用意するからっっ!」
 のびてきたガウリイの手を避けるようにガバっと飛び退いて、あたしは部屋を飛び出していた。その際ちょっとドアをぶち破いちゃったようなのだが、今のあたしは気が動転していて気がつかなかった。

 

 

 ―――――何であたし、ガウリイの前から逃げ出してんの・・・?

 台所に駆け込んでドアを閉めて、そこに背中で寄り掛かりながらそのままずるずると床へへたり込む。
 「やだ・・・何であたし、震えて・・・?」
 持ち上げた手が、今もまだ痙攣を起こしているかのように細かく震えていた。
 鼓動が再び速くなる。心臓がばくばくして、息さえ苦しい。
 「・・・・どーしよー・・・・」
 我ながら情けない声が赤く色付いた唇から零れ落ちた。

 ――――一瞬でもガウリイを怖いと思ってしまうなんて。

 ガウリイはあたしの自称保護者で、あたしの好きな人で、あたしを無条件で守ってくれる人。
 今のあたしに一番近い人で、誰よりも安心出来る人。
 なのに、一瞬。
 ガウリイが全然知らない男の人に思えて、『怖い』と思ってしまったのだ。
 あんな強いキスは初めてだったから・・・逃げられない強さでしっかりと拘束されて、改めてガウリイの『男』の部分を突き付けられて・・・・多分、あたしの『女』としての本能が敏感に感じ取ったんだと思う。
 ガウリイが抱く、あたしに求める、『欲望』を。
 あたしとガウリイが今までの『保護者』と『被保護者』と言う関係から一歩進化して。そー言った事を頭では考えた事があったけれど、その一端を実際に体験するのとは大違いだった。
 ガウリイが嫌なわけじゃない。
 ただ。まだ心が追い付いてこないのだ。
 手探りで進む、初めての恋。
 すべてが未体験で、情報も全然足りなくて。
 この事に関しては我ながら情けないくらいに、おたおたわたわたしてしまう・・・不格好で不器用だけど、少しずつ2人で進んでいこうと思ってた。
 でも、やっぱりあたしだけが子供なのかな。
 ガウリイの過去なんて知らない。知る必要もなかったから。
 でも、あたしと旅する前には、きっとそーいった経験もあるんだろう。ガウリイの年令とか顔とか考えればそれは当然の事で・・・・嫉妬とか全くしないかって言われたら、それは嘘になるけど。
 近づいた距離がまた一歩遠ざかったような、そんな気がした。
 「・・・・・・・どーしよ・・・」
 同じ言葉しか出てこない自分が我ながら情けなくて、抱え込んだ膝の間に顔を埋める・・・・と。
 背中越しにカタンっと、音がした。
 何かが床に座り込む微かな衣擦れの音と気配・・・ガウリイが、ドア越しにあたしと背中合わせに座ったのを感じた。
 収まりかけていたドキドキがまたぶり返してくる。
 どーしよう。
 「えーと・・・リナが飯を用意してくれるんなら、その間俺は何をすればいい?」
 「・・・・・へ?」
 何を言われるのかと緊張していた身体からカクっと力が抜ける。
 そー言えば、ご飯の用意するって言ってここに逃げこんだったっけ・・・
 「そ、そんなの・・・・えーと・・・薪割ったりとか・・・?あ、お風呂使えそうだったらお風呂の用意とか、あとは・・・」
 「わかった。取りあえず薪割りしておく」
 「うん」
 ・ ・・・・・・・・・
 でも、ガウリイが立ち上がる気配はない。
 あたしも、まだ立ち上がれない。
 「あの、ね・・・・」
 ドア越しの背中が、暖かい。
 秋のあの時。
 初めてガウリイの背中に寄り掛かった時の事を思い出して、あたしは落ち着きを取り戻していた。
 あの時もあたしはガウリイの顔を見れなくて、でも話さなきゃいけない事があって、思いきって寄り掛かった背中が大きくて広くて暖かで・・・・妙に安心したんだっけ。
 「あのね・・・・その・・・」
 「あー・・・その・・・驚かせて悪かったな」
 「・・・・逃げて、ごめんね」
 ――――――何を2人で謝ってんだか。
 でも、クスリと笑みが浮かんだ。
 気がつけば、手の震えも治まってる。
 「何かつい・・・抑えきかなくなっちまって。嫌だったか?」
 さっきのキス・・・嫌だっだ?
 「い、嫌じゃない・・けど・・・・ちょっと予想外だったから、びっくりしちゃって・・・・」
 嫌じゃない。
 驚いてパニックを起こしていた中で、確かに気持ちいいと感じていたのも事実で。ただそれがいつもの触れるだけのキス以上に強い刺激だったから、混乱していた頭が怖さの感情を出してしまっただけ。
 ガウリイが怖いなんて、そんな事あるわけない。
 「嫌だったら正直に言ってくれよ。お前に嫌われるのだけは耐えられそうにないからな、俺」
 「ガウリイ・・・?」
 「正直言って色々と我慢してる。でも、リナを傷つけたり怯えさせたりするのだけは嫌なんだ」
 ガウリイが言う『我慢』が何の事か思いいたったあたしは、ボンっと音がしないのが不思議なくらい一気に真っ赤になった。
 でも同時に、ガウリイがちゃんとあたしの事を『女』として見てくれているのを知って、嬉しさで一杯になる。
 女心は、自分の事ながらも扱い難くって複雑で難しい。
 「リナのさ、準備が出来るまでいくらでも我慢するから。だから逃げるのは止めてくれ。結構きつい・・・・」
 「ガウリイ・・・・」
 前も、ガウリイから逃げてた時がある。
 勝手に誤解して嫉妬して・・・ずっと無視してた。
 あの時あたしが思っていた以上に、ひどく彼を傷つけていたのを、あたしは今、知った。
 立ち上がり思いきってドアを開ける。ガウリイはまだ床に座ったまま前を向いていた。
 大きいけど、今は何だか迷子の子供のような寂し気な背中。
 ガウリイは、あたしが思っている程大人じゃないのかもしれない。
 愛おしい、という感情が無性に沸き上がってきて、あたしは自然とその背中に抱きついていた。
 さっき感じた距離を、ゼロにしたくて。
 「ごめん。ほんとに驚いただけなの・・・ガウリイが嫌なわけ、ないじゃない」
 一瞬ビクっと身じろいだ背中から、すぐに緊張が溶けた。
 頬に触れるサラサラの金髪。じっくり見た事がなかったけど、手入れとかしてないくせにすごく綺麗で、思わず擦り寄る。
 「ちょっと悔しいけどさ・・・あたしはそーゆーの全然知らないから・・・だから、ガウリイが教えて?」
 「リナ?」
 「す、少しずつね。そりゃいつもみたいに思わず呪文ぶちかましちゃったりするかもしんないけど・・・でも、教えてくんなくちゃ、準備も出来ないじゃない」
 恥ずかしくて仕方ないけど、抱きついた背中から伝わってくる温もりに勇気づけられて、思いを伝える。
 「あんたと同じように・・・あたしもガウリイに嫌われるのが怖いんだから」
 片方だけの思いにあぐらをかいていると、簡単に人間関係というのは脆く崩れてしまうものだから。
 抱きついて前に回していた手が、不意に大きな手に取られた。そしてそのまま持ち上げられて、そして手のひらに触れる唇。
 「やっぱり、あんまり待てそうにないなぁ、俺・・・・」
 「我慢するって言ったの、どこの誰?」
 情けない言葉に、呆れた口調に、はっきりと含まれるお互いの笑み。
 ――――大丈夫。

 

 さっきのキスより軽く、いつものキスより深い8回目のキスは、今までで一番甘く感じた――――